アオマツブログ

青松輝(あおまつ・あきら)。短歌・批評など。Twitter:ベテラン中学生、YouTube:ベテランち。

ネットプリントステマ企画 その① 丸田洋渡編

 

 

 短歌のネットプリントを出しました。

 

 

 ですが、ネットプリントを印刷する習慣がない人も多い(と思う)のもあり、コンビニで出来る割には結局あんまり読んでもらえない(3日で20人くらい印刷してくれた。ありがとうございます)感じがあるので、ステマのためにブログで1首評を書くことにしました。興味のある人は読んでください。

 

【短歌に興味のない人のための説明】

1首評:短歌1首を扱った評論。ちょっとした宣伝とかに便利
ネットプリント:コンビニのコピー機で「マルチコピー」のボタンをおして番号を押すといろいろなデータが印刷できるサービス。


それでは本編です。

 

 

日陰と木陰 ここ一帯は濁流にかつて全壊したと教わる

(丸田洋渡『月と銃口』/ネットプリント「第三滑走路」2号)

 

丸田洋渡(まるた・よっと):山梨大学短歌会の人。「第三滑走路」という名前を提案してくれた。ちなみに僕が提案したのは「短歌ボディビル」だった。常に穏やかな表情。

 

丸田洋渡の短歌の良さとして、情念・主体の感情、の気持ち悪くなさ、みたいなものがある。カッコよさに押し付けがない。それを「俳句的」というのは短絡的に過ぎるかもしれないが、少なくとも丸田洋渡の俳句と短歌には似たものがあると感じる。

 

(注:よっと君は俳句甲子園に出たり、高校生の頃から俳句でもがんばっている人です。詩客に俳句が載ってます。

http://shiika.sakura.ne.jp/works/haiku-works/2018-07-14-19323.html )

 

(不思議なのは、丸田洋渡の俳句のなかに短歌っぽい俳句、もあると思えることで、これは俳句と短歌両方やる人はよく、短歌でも俳句でもよそ者っぽい言い方をされてムカつく、というのを別の俳人が言っていた気もする。)

 

 

柘榴喰ふ雨といふきもちわるい数

月に覚め砂漠つめたいことを言う

(『帰還する此岸』

note.mu  )

 

あまりにも永く火を濾過していたために離れていった人々よ
(『火想』/ネットプリント「な紙」 vol.1)

 

押しつけがましくない、という事の裏返しとして、こういう、不穏な感覚があるし、それを眺めるとき、主体のドライさに特徴、カッコよさが出てくると思う。

 

遠くから見れば愛とはひややかなものだ枢(くるる)の枢(とまら)と枢(とぼそ)
(『月と銃口』)

 

下の句の意味を解説すると、以下コピペですが、
「蝶番を使わずに扉を回転するようにした仕掛けのことを枢(くるる)というそうです。そして、扉自体に付けられた心棒を枢(とまら)といい、枢(とまら)を受け入れる上下のくぼみのことを枢(とぼそ)というそうです。読みを書かないと、「枢の枢と枢」みたいに同じ字が続いちゃう。」ってことらしい。

 

愛とはひややかなものだ、と言いながら、「遠くから見れば」という留保があるのが重要で、ひややかだというけど露悪的でも無く、でも歌全体の雰囲気作りがうまくできている(この歌なら下の句がシンプルにおもしろい)から「何も残らない歌」にはなっていない、という感じがします。他人の短歌を読んでいて感じる「切実さ」みたいなのって、歌を良いものにすることもあれば、読んでて疲れさせる部分があって。

 

そういう切実さを自分から切り離して書ける主体の書き手としての器の大きさ、みたいなところまで含めて、「遠くから~」の歌はいい歌だと思います。俳句の方の活躍がどんなものなのかはあんまり知らなくて宣伝できないんですが、ネプリの短歌は(身内が言うのもなんですが)けっこう面白いと思うのでネットプリント本編の方もぜひ読んでみてください。Twitterにあげてる俳句もけっこう僕は好きで読んでます。

 

 

(以下洋渡の短歌に関係ない、短歌の話)

つけくわえると、「切実な」というのと、「自分から切り離す」っていうのはどちらがいい、というのではないと思います。麻雀プロの多井隆晴プロが「鳴き重視のスピード麻雀と面前で手役重視でよくオリる麻雀のどっちが偉いというものではないんですよ!麻雀はトータルパッケージなんです!」って言ってたのをYouTubeで見たことがありますが、それと同じです。

切実ないい歌、でいうと

正しいね正しいねってそれぞれの地図を広げて見ているふたり
蕾だと思っていたらアブラムシ うた、脈、ことば、音素 ゆるして
(『七月の心臓』兵庫ユカ)

とか。逆に主体の切実さから切り離されていい歌、ってのはおなじ第二回歌葉短歌賞でいけば

パイ投げのパイが視界をよこぎって修羅場にかわる夏の教室
パーマン何号が猿だっけ このゆびは何指だっけ おしえて先輩
(『ニセ宇宙』我妻俊樹)

ともに短歌ヴァーサス4号から引いてます。この我妻の歌のうすら怖さ、みたいなところには主体の切実さがあるぞ、みたいな読みもあり得るとは思うんですが、なんというか歌のポイントを高くする要素としての共感、の使い方、みたいなところに違いがあると思っていて、最近はその共感性に頼らない良い短歌の生まれ方、みたいなところに興味があるので、我妻的な歌にかなり好みがあります。(要するに、そういう生きていくうえで大きく感情が動くこと、さみしさ、恋、他人の死、怒り、そういうものは短歌の内容として便利でよく登場すると思うので、そこ以外の良さに逆張り的に興味が大きい、ってことです。僕みたいなことを考えてやってる人は僕より少し上の世代にも結構多い気はしますが。)今後もいろいろ考えていきたいです。

 

暇な人はネプリの印刷もお願いしますね。おもしろいですよ