アオマツブログ

青松輝(あおまつ・あきら)。短歌・批評など。Twitter:ベテラン中学生、YouTube:ベテランち。

「ブンサイ!」選評

 

遅くなってすみません。僕が選評を書くのが遅かったせいで遅れてしまいました。アットマーク以下は各応募者のTwitterアカウントです。

 

【最優秀賞】

神様が帰ったあとのガラス戸が少し開いてる、甘いんだよな
(須藤摂 @_sudO_Osamu_)

 この一首が、今回応募された作品のなかでもっとも印象に残った。得体のしれない青春性を感じた、といえばいいだろうか。

 友達と遊んだあとのような作中主体のテンションと、じっさい書かれている「神様が自分のところに来て、帰っていった」という奇妙な場面設定のあいだのズレが、「甘いんだよな」という口調のもつ雰囲気を最大限に引き出している。「ガラス戸」という道具立ても、古い民家のような湿ったイメージをどこか喚起する。

 「神様」が来て、帰ったあとも平静を保っているように見える主体。にもかかわらず、その態度にはどこかセクシーなニュアンスさえ含まれている。主体と「神様」はそこで何をしていたのか、どのような関係が生まれていたのか。そのようなことを考えるときすでに、われわれは少しずつ歌の世界に取りこまれている、甘いんだよな。

 

【優秀賞】

今朝君は生きていたんだトーストの設定がまた5に戻ってる
(ふゆ @IN___2317)

 この一首に、今回応募された作品のなかでもっとも新鮮さを感じた。つまり、簡単な意味内容を書いていて、文体もフラットなこの短歌に、読み込むべき情報量が非常にある、という手触りに驚いたということだ。

 掲出歌のような、誰かの生活の痕跡に、他者と自分の違いを感じる、という内容の短歌は多く存在しているが、この歌は「トーストの設定」という特殊な言い方と「5」という具体的な数値の提示によって、意味のレベルだけにとどまらない、テクスチャーレベルでの情報量が付帯させられている。

 ごくシンプルな話だが、オーブンのあのダイヤルを「トーストの設定」と言い換えられるということは、非常に正しく短歌的な技術ではないか。

 

 

【佳作】

一面の(わたしはいったいなにをどこでまちがえただろう)菜の花
(君村類 @kmmr_r09 )

 山村暮鳥の有名な詩(『風景』)が想起されるが、パーレンの中に書かれた感傷は、近代詩的な自然のイメージを裏切っている。この歌で「菜の花」は実景としての効力をもはやもたず、単なる喩でしかないが、その喩が喩として正面から書かれていることに、この「菜の花」の鮮やかさがある。


嘘じゃなくフィクションだって分かるひとだけがわたしの作画を愛でて
(小石川なつ海 @7snooze)

 意味を読みとるならメイクの話なのだろうか。主体の要求が「嘘ではないと思ってほしい」「フィクションではあると分かってほしい」「その上で作画を愛でて」と色々な方向性を兼ねているところに、短歌には珍しい複雑さがあって面白かった。


一羽ずつ雪道に鳩を置きながらマジシャンをやめてゆく人影
(からすまぁ @inari_karasuma)

 上句の説明的な場面設定が、下句の句またがりの鮮やかさでうまく回収されている。回収されたとして、「そんなやついないだろ」というツッコミは頭の中に残るのだが、それも「雪道」と「人影」の存在感を強くしている。

 

 

妻はガルシア=マルケスの大ファンで、ある日大きな容器と大量の『百年の孤独』を買ってきた。「どうするの?」と聞くと、飼育し、共食いさせ、生き残った最高の『百年の孤独』を愛でるそうだ。数日後、帰宅すると、妻が肥大した一冊の本に喰い荒らされていた。以降百年、僕はその本と孤独に暮らした。

(サトウ・レン @RS_hon)

 短歌以外の作品について自分が選考する側として何を言っていいのかわからないが、数ある応募作のなかで、この作品は既視感のある設定から一歩先へ踏み込んでいる感じがした。「以降百年、」という部分があきらかに嘘であるとわかるところにこの作者の誠実さがあると思う。