アオマツブログ

青松輝(あおまつ・あきら)。短歌・批評など。Twitter:ベテラン中学生、YouTube:ベテランち。

【歌論】戦う永井祐と穂村弘、世代論でない「ポスト」

 

四月になって学校が始まったけど、週二回しか学校はなくてダラダラ日々を過ごしている。サークルの新歓期だから予定はちょこちょこあるけど結構寝ブッチしたりしていて関係各位には申し訳ない限りです。

 


先週の金曜(4/5)に瀬戸夏子と穂村弘の対談(「現実のクリストファー・ロビン」の刊行記念イベント)を聞きに行って、個人的に現代短歌史のストーリーテラー役を果たしてきた最重要の二人だと思っているのですごい気合を込めて聞いていた。内容はわりと瀬戸さんが穂村さんを質問攻めする感じだったが、僕の敬愛する永井祐の話が出て、穂村弘と永井祐の関係について気付きがあったので小論を書くことにした。前置きが長くてももあれなので本文に入ります。

 


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永井祐は戦う。

 


ジーンズにシャツでプラットホームから駐車場見ている夏の夜
(『日本の中でたのしく暮らす』)


たしかに爽やかに佇んでいるが、それはポーズだ。騙されてはいけない。

 
「だらだらした韻律と特にやる気をみせる素振りのない登場人物像を引き合いに出されては、「闘う気がない歌」と批判され続けてきた永井祐。」
「ぼくは新入りだったから、新入社員(注:永井のこと)のほうに肩入れしたくなった。もちろんそればかりではなくちゃんと短歌にも感動していた。次世代の短歌を担う最も重要なキーパーソンといえる歌人だとずっと信じている。」
(山田航『桜前線開架宣言』)

 

「戦う気がない」のはオシャレの一環だ。

 

去年の秋、Q短歌会機関誌1号用に評論を書いた。締め切りの関係上けっきょくお蔵入りになったが、その中に「永井祐は戦う」という部分があった。その概略を短く記す。大事なので飛ばさないでください。


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戦う、とは

 

まず、過去の永井祐の連作のタイトルたちを見てみよう。早稲田短歌31号に載っている16首連作のタイトルは「不敗神話」。2002年、北溟短歌賞次席になった連作は「総力戦」。2005年、歌葉新人賞で最終候補になった連作は「冒険」。これを現代短歌に対する戦意、ととるのはやりすぎだろうか。

そしてモチーフの禁欲。

アルバイト仲間とエスカレーターをのぼる三人ともひとりっ子
夕焼けがさっき終わって濃い青に染まるドラッグストアや神社
(『日本の中でたのしく暮らす』)

こういう歌に代表される、これまであまり使われてこなかった短歌的に禁欲的なモチーフ(「アルバイト仲間」「ひとりっ子」「ドラッグストア」「神社」のような)。いわゆる「言葉のデフレ化」みたいな標語で取りざたされたような姿勢は、明らかに永井のストイシズムからきていると思われる。「初期の歌には意外と穂村弘的な歌がみられる」という指摘があるのは的確で、初期の作品にはこういうニューウェーブぽい(≒穂村っぽい)歌がある。

一本のコードを買っておたがいの首にプラグをさし合う日 雨
(『不敗神話』/早稲田短歌31号)
完璧なレモンの形を描きながら天使のような図書委員長
(『題詠吟行十番勝負と近詠四首』/早稲田短歌32号)

そこから、「おたがいの首にプラグをさし合う」「レモン」「天使」のような要素は捨てられていって

パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円
(『日本の中でたのしく暮らす』)

に至る。というわけで永井祐において独自のモチーフ(そして、ここでは触れないが「文体」も)を見つけていった道のりはたぶん戦いだったと思う。

 

そして加えて、若い時から物議を醸していた(総合誌のコラムで名指しで叩かれたりしていたらしい)らしい作風を曲げないまま周りに自分の作品を認めさせてしまったこと。

 

いっけん牧歌的に見える『日本の中でたのしく暮らす』という歌集タイトルは、「たのしく暮らす」ことで戦うんだ、というような姿勢に感じる。

 


☐☐☐

 

瀬戸夏子×穂村弘トークでの重要な指摘3つ


永井祐が戦う作家だ、と僕がもともと認識していた、のがここまでの話。そして瀬戸夏子&穂村弘トークの内容に戻る。僕のメモをもとに書いているので正確ではないかもしれないが、僕の記憶では瀬戸さんと穂村さんのの発言に3か所ほど手掛かりになる話があった。あくまで論の手がかりなので正確性はまた文字起こしなどが出た時に確認したい。



穂村の「イメージ」「レトリック」の区別に関して


瀬戸「自分は伊舎堂仁、木下龍也の歌たち(レジュメに載っていたのは「神様は君を選んで殺さない君を選んで生かしもしない/木下龍也」「ぼくたちを徴兵しても意味ないよ豆乳鍋とか食べてるからね/伊舎堂仁」)をあんまり読めている感じがしてこなかった。「文体」であったり「助詞単位での…」みたいな物にそこまで執心していない感じがした部分もあって。それに比べて穂村さんの方はわりと素直に伊舎堂、木下の歌を感受できていたように思う。それはそもそも穂村が「イメージの操作」を重要視していて、「レトリック」とは差別化していたからなんじゃないか?つまり、自分が永井の歌などを「文体」などに注目して読んでいたのは穂村の「イメージをぶつけること」に対する逆張りでしかなくて、自分がもう時代遅れなんじゃないかという気がしてしまった。」

穂村が「イメージ」と「レトリック」で自分は「イメージ」について、加藤治郎荻原裕幸は自分たちのことを「レトリック」と言っていてそこが違う、と言っていたのをうけての内容。それに対して穂村の反応は

穂村「でも、永井祐とか宇都宮敦の歌は、自分にとっては、すごく大昔から存在したリアリズムを口語に「直訳」=「けり、とかを、ですますに移植する」ではない、口語のOSに合わせた形でやっていこうという試みだと思っている」

みたいな感じ。




で、その後別の流れで、「しびれる短歌」で内山晶太の歌(蚊に食われし皮膚もりあがりたるゆうべ蚊の力量にこころしずけし)を穂村がdisった、という話題になって


穂村「こういう(「蚊」みたいな)短歌というものが書かせてしまうゾーン、みたいなものに自分は反応しない傾向にあるんですね。」
瀬戸「じゃあ、宇都宮敦のカバンの歌(「君のかばんはいつでも無意味にちいさすぎ たまにでかすぎ どきどきさせる 」)はなんで褒めるんですか?」
穂村「それはだって今までの短歌にあんまりなかったんだもん。」
瀬戸「時々思ってましたけど、それなら短歌じゃなくてもよくないですか?」

 



さらに別の流れで伊舎堂と木下の歌をめぐって

穂村「木下、伊舎堂あたりはアメフト選手が相撲で関脇くらいになった、という感じがします。」
瀬戸「まったく比喩の意味が分からないです。」
穂村「つまり、短歌を作る人は、才能がない人以外は皆不安だと思う。木下とか伊舎堂が、自分の歌が最終的にどこかに自信がある、というよりどころは他ジャンル(注:伊舎堂が大喜利、木下がコピーライトと縁があり作品も類似性を指摘される件、を含め、他ジャンルのエンタメのノウハウのことだと思われる)にあるんじゃないか。例えばそれは大森静佳、服部真里子あたりの歌に山中智恵子の影が見えるように。」

穂村「でもそういうアメフト選手的なことって僕が走りだったみたいなところもあるから、こんなこと言うのもどうなんだって感じなんだよね。僕にとってはそのよりどころが萩尾望都とかその世代の女性漫画家で、そういう漫画のネームを再現すりゃいいんだろ、くらいの気持ちでいたし。」


☐☐☐

 

3つの発言をヒントに


以上3点が今回の小論の手がかり、というかすべての材料に近い。
ざっくりまとめると
① 永井の「文体」は穂村の「イメージ」に対する反動的な面があるのではないか、という瀬戸の指摘と、それはでも元々あったリアリズムの手法だとも言える、という穂村の対応
② 穂村の、「短歌的すぎるゾーンは自分は得意でない」という感覚
③ 穂村の、「木下と伊舎堂はジャンル外に拠り所を持ち、それは自分も初期はそうだった」という指摘
の三つ。

 

そのあと、Q短歌会の吉原さんとご飯を食べて、吉原さんが「「魂」みたいなレベルでは穂村さんもリアリズムなのかもしれない」みたいな話をしていて、それともつながって、「実は初期は穂村弘ぽい歌もある」ともされる永井祐が、「日本の中でたのしく暮らす」のモチーフの禁欲(先述)を手に入れたのは穂村弘からの脱皮、すなわち

 

穂村弘の「短歌が書かせている領域」へのアンチとしての過剰なモチーフ
→その逆方向への展開としての永井の禁欲的なモチーフ

という流れがあるんじゃないかと思うようになった。

 

もっと言えば、「短歌が書かせている短歌っぽい修辞と叙情」なんてリアルじゃねえだろ、という姿勢。つまり、穂村が「②短歌的すぎる物はリアルじゃないと感じる(結果として、初期の過剰なイメージをぶつける作風)」「③短歌的じゃない、外部の強い表現(漫画的な)をバックボーンとした」ということは、永井祐が、よくあるモチーフを拒んで「ぼろぼろのカーディガン」「ずっと触っている一万円」を手に入れたこと、そして、短歌にとどまらず普遍的なリアリズムという手法を徹底したこと、とパラレルになるんじゃないか。

 

だから、「①永井の「文体」は穂村の「イメージ」の逆張りに見える」のは当然で、過剰なイメージ、と、モチーフの禁欲、は、短歌的すぎるものに対する反抗の姿勢を同じくした、「リアルな表現」の志向のバリエーションだ。

 

そういう意味で永井祐をさす「ポスト・ニューウェーブ」は単なる世代論に留まらない。実際に永井は穂村の落とし子であり、ネーミングだけじゃなく正しい意味で「ポスト」なんだと思う。

 

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新品の目覚めふたりで手に入れる ミー ターザン ユー ジェーン
穂村弘『シンジケート』)

 

穂村も永井も短歌で「新品の目覚め」を「手に入れ」ようとしたのかもしれない。

「ターザン」と「ジェーン」。


元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれた
(永井祐『日本の中でたのしく暮らす』)

 

「本気で言」うこと。「その言葉が届」くこと。

 

 

永井祐は戦う。穂村弘が戦っていたから、かもしれない。

 


(2019年4月9日 青松輝)

 

☐☐☐

 


(注1)
上の①~③のトークの内容は穂村弘個人の話で他の「ニューウェーブ」に適応するとどうかはちょっとわからない。荻原裕幸とか西田政史は特に難しくて、既存の短歌の否定のような歌があると同時に王道の抒情が得意な感じがするし。でも「短歌的すぎる物に対する疑問符」というのはある程度は言えると思う。

 

(注2)
上で、穂村弘に永井祐が影響されている、という勝手な前提のもと話を進めたがその辺は本人には全然確認できていない。面識もないし。もし穂村弘の影響を受けていなければ「穂村」を「ニューウェーブ的なムード」と置き換えてみてもある程度は良いと思う。注1と被ったけど。あと、そもそも「戦う」ってなんなんだ、みんな短歌作ってる以上「戦って」るだろ、という指摘もまあその通りなんだけど、「戦う」とは何か、みたいな議論は抽象的すぎて実りがないのでここでは避けた。

 

(注3)
本稿の②、③でくくった「ニューウェーブマインド」みたいなことを「ポスト」の根拠とする方向でいけば、斉藤永井今橋宇都宮ラインの「修辞の棒立ち化」と、雪舟笹井ラインの「イメージのさらなる飛躍」が同時に「ポストニューウェーブ」と並列されているのは納得いく部分がある。つまりさらに発展させた人々と逆張りに行った人、みたいな。(盛田、飯田は歌集が手に入って無くてまだ読めていないので読んでみたいです。)あと、永井は穂村の「落とし子」と言いましたが瀬戸さんが永井さんについて「枡野の子供が穂村の養子になった」と言ってたのはおもしろいですね。「現実のクリストファー・ロビン」で読めるはず。

 

(注4)

永井が「短歌にとどまらず普遍的なリアリズムという手法を徹底した」と書いたが、これは言葉の綾なところもあって、道具立てが新しいだけで結構オーソドックスなフォーカスの仕方、抒情の仕方な歌もあるし微妙。

 

 

(補足1)
他に瀬戸さんの、穂村さんがレジュメに簡単な年表を作ったことについて「穂村さんが手を汚してくれた」という発言と、穂村さんの永井祐の「ま ま 日曜日」が多重的に「リアリティ」を表現しているリアリズムだ、という指摘に関連して書きたいことはそれぞれ少しずつあるがボリュームの関係で本稿はここまでとする。あと、それとは別に瀬戸さんの歌に関する評論も今書いているのでまたアップするかも。というかまた見つけたら読んでください。

 

(補足2)
「ポスト」つながりで、さいきん「ポストシェアハウス」という短歌同人誌を始めたのでそちらの方もフォロー等お願いします。5月6日の文フリで創刊号が出ます。

 

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 (補足3)

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